ヒューマンハーバー別海・代表理事 木嶋悦寛

ヒューマンハーバーへの思い

2016年(平成28年)5月。当時参加していた地域活性化を勉強する木村塾(小樽市)で東京から講師としてお越しいただいた青木匡光(あおきまさみつ)先生との出会いから、新たに立ち上げる法人の名称をヒューマンハーバー別海とすることに決めました。

法人名であるヒューマンハーバーとは読んで字のごとく「人間の港」です。

この名称は青木匡光先生が提唱したもので、人間接着業と称して40年以上に渡って人と人を結び付けるサロンを無償で運営してこられました。

まさしく地域にとって人と人が結びつく場の創出が、地域を活性化し、新たな発想や化学変化を起こすことになり、この思いがこれから取り組む様々な事業の柱になると考えました。

さっそく青木先生に連絡しヒューマンハーバーの名称使用について許可をいただきました。青木先生は「木嶋さん今後はあなたがヒューマンハーバーとなって人と人をつなぎ合わせることをしていってください。あなたが行う事業にぴったりの名称ですから喜んで提供します」とおっしゃっていただきました。

この思いをもって理事や監事などお願いに上がり、みなさん快くお引き受けいただきました。

こうして一般社団法人ヒューマンハーバー別海は、2016年(平成28年)7月29日法人設立を果たしました。

当面の中心事業としては放課後等デイサービスの運営です。

事業所の認可をいただくために、同年秋ごろより根室振興局と放課後等デイサービス事業所開設について協議を始めました。

有資格者確保を中心としたスタッフ集め、必要書類の整備など、このことに多くの時間が費やされました。

平成29年4月1日「放課後等デイサービスこども広場ひかり」事業認可を受け現在に至ります。

お子様の発達と向き合う保護者の皆さんとの出会いが私を突き動かし、また新たな出会いをうみ、つながりとなっていきました。

法人としてまだまだ地域で取り組むべき課題が山積しています。

これまで支えてくださった方、そしてこれから出会う皆さんとともにヒューマンハーバーとしての役割をしっかりと果たしていく決意です。どうぞよろしくお願いいたします。

木嶋悦寛 プロフィール

1959年(昭和34年)

野口末吉・君枝の長男として北海道倶知安町で生まれる。その後父の転職をきっかけに室蘭市へ移住

1968年(昭和43年)

父の転勤により現在の愛知県東海市に移住。

1978年(昭和53年)

愛知県立半田工業高校土木科を卒業し、日鉄企業株式会社(現:日鉄興和不動産株式会社)に就職。

1986年(昭和61年)

9月に木嶋加寿美と結婚、木嶋姓を名乗る。

1990年(平成2年)

12年間務めた会社を退職。その後ログハウスの建設会社、障がい者支援施設、清掃会社(母が経営していた)勤務を経験する。

1991年(平成3年)

12月職場の仲間と南米民族音楽バンド「ニナ・マルカ」を結成し活動を始める。

1999年(平成11年)

3月に妻の故郷である北海道別海町に移住。

2000年(平成12年)

3月〜5月南米ボリビアの首都ラパスで音楽家のもとにホームステイし民族舞踊と音楽を学ぶ。

8月有限会社ケイ・クリーンサービス設立し、働きづらさを抱えた人たちと共に誰もが働くことのできる会社づくりをはじめる。

2007年(平成19年)

9月、協働のまちづくり町民会議(2009年3月まで)に参加する。この会議に参加したことにより、まちづくりへの興味が一気に 高まる。

2011年(平成23年)

4月、別海町議会議員選挙に立候補し初当選する(現在3期目)。

地域活性化勉強会=のちの木村塾(札幌市)に参加し、多くの出会いとつながりをこの地域に生かしていく道筋を探る。

2016年(平成28年)

7月、一般社団法人ヒューマンハーバー別海を設立し代表理事に就任する。

2021年(令和3年)

3月、別海町に移住して丸22年になる。

趣味は料理、南米の民族楽器ケーナの演奏で、これまでにミニアルバム2枚とシングル1枚を製作。オリジナル曲の演奏活動も続けている。

  • 有限会社ケイ・クリーンサービス代表取締役
  • 一般社団法人ヒューマンハーバー別海代表理事
  • 別海町議会議員
  • 別海町技能士会理事
  • 特定非営利活動法人道東救急医療研究会理事
  • 日本地域創生学会会員